ひどいパースペクティブ

主観的で読み返すとこりゃひどいという内容も残しておきたいと思い始めました。恥ずかしくても消さないというのがルール。げいじゅつか。

「きのう何食べた?」

映画「きのう何食べた?」を映画館で観た。

 

なぜかというと母から誘われたから。

 

母にはこれといった趣味はあまりなく、しいて言えばショッピング、化粧、ファッション、時々ゴルフを友達と楽しむことくらいで、特にこだわりは持っていないタイプ。家には、母の所有する漫画や小説は一切ない。そんな文化的な趣味に執着しない母が映画を見ようと誘ってくるのは稀で、私は初めは関心がなかったのだけど、珍しい誘いにどのような物語なのか気になって見に行ったのだった。

 

映画の冒頭から、和やかなカップルが他愛のない会話をして料理や日々の時間を楽しんでいる。その姿はリアルなゲイカップルの日常にも思えたし、それでいて、どこか男女二人のカップルのような場面もあった。そして、不思議と女性二人の友人同士が同居している風景にも似たように感じるところがあった。

 

私には友人に同性愛者がたくさんいる。ゲイ、バイセクシャルレズビアンなどの人たちのリアルを知っている方だと思う。美術関係には同性愛者が比較的多い。性的嗜好で簡単に区別はできないが、強いて言えば、彼らは感性豊かな、繊細なそれでいてビビッドな感覚を持つという印象が強い。それでいて、きれいな側面だけでなく人一倍性に、人生に、貪欲な一面なども人によっては目にしたこともあるし、思い悩む人もいれば人生を謳歌している人もいた。多くは、ステレオタイプが通用しない場面に一度は遭遇したといった感じで、既存の答えではなく自分の答えを導き、選択してきた彼らの意見はシンプルにおもしろい。

 

私が気になることは、まず、なぜゲイカップルのドラマが母という一般的な感性の持ち主に届くくらいに流行しているのかということと、実際のゲイカップルの生活とこの作品で語られるゲイ事情はどれくらい似ているのかもしくはかけ離れているのかということだ。

 

BLという文化がある。男性同士の色恋を描いた主に(私が知っている限り)漫画のジャンルで、私が小学生の頃にはすでに漫画好きのいわゆるおたく予備軍的な友人が私にその文化をもたらしたため、少なくとも20年くらいはそのジャンルが(少数派ではあるものの)メジャーな存在だったと思う。

 

ただ、当時は本屋の一角に、物好きの探求者たちが楽しむように、こっそり置かれているという状態だった。ちゃお、りぼん、なかよし、マーガレット、花とゆめの単行本が少女漫画の棚に堂々と並ぶ中、だいたい、花とゆめの奥が大型女性向け漫画になっていたり、やや主婦向けの漫画につながっていたりして、その先に、性的描写のあるものがあり、その先にひっそりとオリジナルのBLとワンピースやナルトなどの既存のキャラで作られた同人誌のコーナーがあった。

 

ついでに言うと、私の小5時代ではすでにインターネットが普及しており、クラスのませていた少女漫画好きの友達が、すでに犬夜叉の創作小説に行き着いていた。犬夜叉カゴメという実際の漫画のヒーロー・ヒロインとカップルについて、ファンが妄想を巡らせたもの、また犬夜叉と別のキャラという本作では成就しないカップルを妄想上で成立させたもの、また主人公じゃないサブキャラ同士で成立させたものがあった。それらは、その子が家のプリンターで印刷し、私を含む5人位のませた女の子にだけ回し読みを許させた、秘密のおこないであった。そして、そのなかでも、私ともうひとりのオタク予備軍先鋭部隊にだけ回ってきたのが、犬夜叉弥勒という男性同士のカップルのいいちゃいちゃする小説だったのだった。それがわたしが覚えているはじめてのBLとの出会いだった。

 

BLは、そのように小5くらいから私の身近なものであったが、残念ながら私がハマることはなかったジャンルだった。その理由を考えると、それはBLというジャンルが私にとって文学性が高すぎたからだった。美しすぎるのだ、耽美的というのか、理想郷すぎるのだ。それが私の正直なその世界に入り込めない理由だった。

 

BL系のもともとの主な消費者は女性だと思う。女性が、自分という私生活、リアルを抜きにして、自分をある種棚に上げて、描かれている世界がボーイズラブだ。それは宝塚やひっくり返したら歌舞伎にも近い世界観なのかもしれない。別にBLに女性たちはリアルな関係を求めてきたわけではないのだ。本当の新宿二丁目事情や、性生活が観たいわけじゃない。肉迫したものや、ましてやアダルトビデオのような直接的な行為が見たいわけではないのだ。

 

私は、それはどちらかといえば、文学的世界だと思う。現実世界ではなく、比喩や象徴の世界。ロミオとジュリエットが近所の幼馴染じゃだめだった理由。普通の和やかな恋愛ではなく、悲恋でなくてはならなかった理由。それはすべて、現実がかなわない儚さ、しあわせな日常では体感し得ない深い強い感情。それが、文学作品だからこそ、人々は体感できる。

 

また、男性とは、ある視点から見ると、とても純粋でまっすぐな性質だと思わされることがある。完璧を追い求め、感情に動じないよう理性で動く美しく儚い生き物だ。実際問題ではもちろん、いろんな性格の人がいるだろう。ただここで言うのは、あくまで、物語の中で活躍する際の役割としてそういう特徴があると言うことだ。それに対し、女性は現実的で、ある種何者にも打ちひしがれない強さを持っている。パートナーの死後、長く行き続けられるのは女性だと聞く。男性が描く女性像というのは、儚く、夢見がちで、純粋で潔白で、まっすぐに描かれることもあるだろう。しかし、女同士は地の底で繋がっているから、知っているのだ。女は文学に登場するには強すぎると言うことを。本当は儚さの真反対にいる生き物だということを。だから、突き詰めると、女性は女性に対して夢を描けない。

 

それでは、この「きのう何食べた?」は典型的なBLなのだろうか?答えは、多分ノーなのかも。それが、新しいこの2021年で流行している理由で、文学に疎い母にも届いた理由なのだ。そう考えている。

 

私は男性でも、ゲイでもないので、あの生活がリアルなのかどうかはわからない。ちょうどそのような生活を送っています!というカップルもいるかもしれない。ただ、(女性のヘテロの)私が感じるに、あの世界観はゲイカップルを現実的に描きたいものではないのかもしれないと思う。それではBLのように理想の関係性を描いているかというと、それも違う。それではなにかというと、ゲイカップルを通して、どちらかというと現代の女性の立場を現実に近い感性で描いている作品だと感じるのだ。

 

40代のゲイカップル、、、という設定上、このドラマに出てくるテーマは結婚していないことや、子供が今後持てないであろうこと、老いたときにパートナーがいるかもしれないし、もしかしたら一人で最期を迎えるかもしれないこと、などが議題に上がってくる。このことは、とても普遍的なテーマで、別にゲイだから、男性だから直面するテーマではなく、女性においても言えることなのだと思う。もっと言えば、結婚してようがいまいが、少子化は社会問題だし、最期はどんなひとも必ず迎えるわけだから、さらに言えば、性的な特徴は関係なく見れる。

 

そう仮説を建てたときに、なぜゲイカップルなのか、と考えたときに思うのは、やはり現代の社会上の性的役割が薄れている点が挙げられると思う。シロさんとケンジは両方働いているし、家事もこなしている。その点で、二人の関係は対等で、性が同じ方がよりその対等な関係を強調できるのではないか。女が男を立てるとか、男が飲食代を多く払うとかそういうことがない世界、それが物語上の同性愛である必然性なのではないだろうか。ゲイカップルとは、姓を剥奪してみることのできるキャラクター設定と言えるのかもしれない。

 

社会上では弁護士という理知的な、ステレオタイプで言えば、男性的な職に付きながらも、家ではステレオタイプで言えば、女性的な料理をこなす物静かなシロさん。社会上では美容師という、中性的な職につき、家では料理を作ってもらい、その代わり掃除などの家事をこなす、フェミニンな口調のケンジ。この二人も、男性というキャラクターを外せば、バリキャリで家では家庭的な女性と、所作はフェミニンだけど、多分性にアグレッシブで細かいことは気にしない女性、と見えなくもない。どちらも女性が感情移入することができる。

 

ケンジのキャラは、所作が、私の母は「見習いたい」と言っていたくらいに、女性らしい。いわゆる歌舞伎的な女性よりも女性らしい演技。この女装(女に変装している)状態こそが、現代の女性のリアルだということはないかと考える。私は、女性というのは、意識的に「なる」ものだと考えている。女性に生まれて、ぼーっとしていても女性でいられるのではなく、初潮を迎え、化粧や所作を身に着け、女性に「なる」のだ。そして、性の役割を剥奪された現代の女性は自分を無意識に男性と対等、同等とみなし、その上で女性という性に「女装」しているように認識しているのではないだろうか。つまり、ケンジは社会を生きる自分を男性として認識してしまう現代の女性の心理そのものなのではないだろうかと考えた。

 

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このドラマ・映画では、ゲイカップルの物語ですが、今までの社会の常識のこうあるべきという結婚や女性の役割と、社会の中で、男性と同等の活躍を求められがんばってきた役割のはざまに揉まれて生きる特に女性の心理を描いた作品のかもしれないなと思いました。

 

イカップルでも、結婚していても子供がいても、関係なく、日々の料理と食事をを軸に大事に毎日を大事に生きることの大切さを描いている、どんなひとも心温まる映画だとも言えます。私は心が温まりました。

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※この文章は、映画とドラマの「きのう何食べた?」についての感想文です。

漫画は読んでおりません。あしからず。